昨日の続きです
人間関係というのは厄介で
どちらか一方が正しくて
どちらかが間違っている、というような
そんな単純な問題ではない
双方の言い分があるし
何より相性の問題も大いにある
私は子供時代からの習性からか
元々の性格もあってか
当事者の間にいることや
仲裁役のような役回りが多かった
自分から意見を言うことが苦手だった上
人の話を聞くとには長けていたので
殆ど聞き役、当事者同士の間に入って
双方の言い分を聞く、というシチュエーションが
私のポジションの常だった
ある意味八方美人だし
目立ちはしないけれど
嫌がられもしない
でも八方美人のつもりはなく
本当に其々の言い分や気持ちは
尤もだと思うし
其々が違う人間なのだから
どちらかを味方して敵に回して
という気持ちにはなれなかった
前置きが長くなったが
職場で例の如く人間関係の問題が浮上した
そしてこの話の流れからお分かりのように
私は双方の言い分を聞く役回り
私はやはり双方の言い分に納得するし
気持ちが分かる
だからどちらかを一方的に悪者とは思えない
それに相性の問題もある
けれど特に女性の場合、多くは
気持ちを聞いてほしいのだ
心を汲んでほしいものなのだ
だから、そう思って話を聞いているだけなのだが
そうすると、聞いてくれてありがとう
と感謝される
私、何も解決策を提示してないけれど・・・
と寧ろ申し訳なくさえ思うのだが
そういう言葉をもらうことが多い
そして今回の場合は
困ったら私に聞いてもらうと良いよ、と他の人から
言われて打ち明けたということだった
話の最後に、私だから話せた
私に聞いてもらえて良かった、と言ってくれた
少し顔色が明るくなったようで
そのことが嬉しかった
本当に何もしていないのでビックリするのだが
もしかすると、これが存在給なのかもしれない
と、ふと思った
何も頑張っていない
ただ、話を聞いてあげただけだ
それは聞いてあげるべきだと思ったし
彼女の心の重荷を軽くしてあげたいと
ただ思っただけだ
実は、この少し前に
これも驚きなのだが、職場で
この「存在給」という言葉を耳にした
詳しいシチュエーションは省くが
言ってみれば私について
ある人が言及したときに、現れた言葉だった
もしや、「存在給」を引き寄せているかも・・・?
と少し嬉しくなった
と、同時に私の心の奥に深く潜り込んでいるものが
もぞもぞと動き、少し解れるような感じもした
いるだけで、価値がある
存在給は本当は誰でも高い
当たり前のもののはず
ナチュラルな自分であること
それに気付けるか、思い出せるか
私だからこそ、いてほしい
そういう感覚が何となく今は
しっくりくる
常に高め続けるのは難しいけれど
低くなったときには
またこのことを思い出したい
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Today’s BGM
Liszt / Études d’exécution transcendante
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