存在給
いるだけで、価値がある
これは私にとって恐らく
一生見つめ続けるテーマなのだと思う
自分を見つめ続けていくと
必ずぶち当たるのがこの言葉
「存在給」
これを上げないことには
私の人生は変わらない
でも、これが相当に難しい
私にとっては
思い返せば
私は物心ついた時から
何かをしないと認められないと
心底思っていた
運動が苦手だったので
基本的にその「何か」は勉強
テストの点が良くないと叱られる
母親の機嫌が悪くなる
謝らなくてならない
機嫌を取るためには
良い子で言うことを聞かないといけない
言われたことは守らなくてはならない
そうしないと、私は見捨てられる
価値がない子だと思われる
悲しいかな、幼い頃から割と本気で
そう思っていた
顔色を伺うことや
空気を読むことに長けてしまい
その場の雰囲気が良くさえなれば
私が我慢さえすれば
全て丸く収まる
大抵そんな考えのもと行動していた
けれど段々自我が芽生えてくる
そうすると葛藤が起こる
けれど、母の価値で生きないと
見捨てられると思っていたから
必死で堪えて、合わせていた
ある意味自分の価値観でないのに
麻痺しているようなところもあった
私はあまり子供の頃を振り返りたくないし
こういった葛藤の末
ついに爆発した出来事もあったから
正直、辛い思い出が多い学生時代だった
私は、いつも自分の価値とは何か
ということを人生を通じて
突きつけられているような気がする
だから何もしなくても
いるだけで、価値があるというのは
大凡想像すらできないレヴェルの
概念だった
けれど豊かで幸せな人生を歩む上で
最も大切なのが存在給を上げること
実はこのことをきちんと知ったのは
Asami先生のプライベートセミナー
今は動画セミナーにもなっているけれど
その第1章の部分
セミナーを受けて
当時辛くなって涙ぐんでしまったのを
今でも覚えている
セルフイメージが高い人からすると
恐らく驚くような、当たり前の概念なのだろうけれど
私には本当に苦しくなるくらい
大変な概念の書き換えなのだ
もちろん今も葛藤中
苦しくて辛いこともあるけれど
でも少しずつ、少しずつ
変わってきていると思う
変な言い方だが
存在給がものすごく高くなるときと
どうしようもなく低くなってしまうときと
波のように交互にやってくる
そのアップダウンに
辛くなることも多い
そんな存在給と向き合う日々で
一つの解への緒となりそうな出来事があった
長くなるので明日へ続きます
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Today's BGM
Prokofiev / Piano Sonata No.7
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