本日はメイクのことを綴ろうと思う
私はメイクが好きだ
今でこそ堂々と好きと言えるが
以前は決してそうではなかった
というのも、私の顔は
コンプレックスの塊で
それは遡れば小学生の時に
クラスメイトの男の子に
顔のことで揶揄われたから
なんてことはない、ちょっとした
揶揄いだったのだろうけれど
私は深く傷つき
それ以来自分の顔が嫌になってしまった
だからメイクは自分の欠点を隠すため
そういう位置づけだった
メイクで「顔を作る」ことで
恥ずかしくない自分でいられる
メイクをしない顔は
とても見せられない、恥ずかしい自分だった
そしてあらゆるエステやクリニックにまで
手を出し始めた
一体どれだけのお金と時間を
注いでしまったのだろう
確かにその施術なりを受けた瞬間は
美しくなる
けれど、時間の経過とともに
結局は元に戻ってしまう
「恥ずかしい自分」に戻ってしまう
あるときは180度裏返って
恥ずかしい自分を受け入れる
荒療治として、何にもしないスッピンを
貫いた時期もあった
だが、これはやはりダメ
私にはこんなことしても
とても「恥ずかしい自分」を
受け入れられるようにはならなかった
「恥ずかしい自分」とは何だろう
本当に恥ずかしいのだろうか
そう思い込んでいるだけではないだろうか
そもそもメイクをすることが
人に可愛く見られたいから
ウケが良くなるから
そういう他人評価から出発するから
恥ずかしい、欠点を隠そう
という気持ちが生まれてしまう
でも、そうではない
メイクは自分の為にする
自分が美しくいたいから
鏡に映る自分が美しいと思える為に
施すもの
他人がどう思おうと関係ない
自分が美しい、自分が好きと思える
自分でいることが何より大切
そこが全ての出発点
人から見た欠点は
自分にとっては美点かもしれないし
逆も然り
でもこう思えるようになったのは
やはり自分に軸が出来て
自信が持てるようになったから
だから結局は内面が大切なのだ
メイクはエネルギーを生み出すことでもある
女性はメイクをすることで
美しいエネルギーを創り出す事ができる
だからやはりメイクはするべきなのだ
その為にも
私はナチュラルメイクはおすすめしない
するならキッチリしたほうが良い
そうしないとエネルギーは生まれない
そんな私も、少し前までは
「ウケが良い」メイクをしていた
コンサルティングを始めたばかりの頃は
メイクが今と違う
分かりやすいのは眉
今より下がっている
眉は意思の表れなので
出来れば下げないほうが良いと
私は思っている
メイクで顔を作ることは
恥ずかしさを隠すためでも
欠点を隠すためでもない
自分をより美しく見せるため
エネルギーを生み出すため
自分の美しさを演出する
素晴らしい手段である
そう思えたときに
恥ずかしさも、欠点も
あるがままの自分として
受け入れられる自分がいるはず
私はこれからも
美しい自分でいるために
メイクを続けていく
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Today's BGM
Beethoven / Symphony No.9
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