2021/06/07

声の哲学

 



私は声にコンプレックスがある

美学のレッスンの中には声の哲学があり

ここで徹底的に自分の声に

向き合わなくてはならない


コンプレックスだからこそ

向き合って乗り越えたときに自信になる

そう改めて感じた


嫌だけれど自分の声を録音し

聞いて確かめて実践する

この繰り返し

これが結局一番の近道だと思う


声の哲学を習得すると

自分の発する言葉にも自由が生まれる

これは伝えるのが難しいのだが

自分の内側から発するもの

それは自分が創り出したものであり

当たり前だが自分自身のものである

それならば自由に扱って良いのである


何が言いたいかというと

どこかで言われている言葉を

借りてきたように薄っぺらく発しているうちは

自分の声、言葉ではない

そういう感覚が生まれてくる

声、なのに言葉への意識まで

生まれてくるのである


これは何もいつも自分で言葉を創り出せ

という作家のようなことを

求めているのではなく

発する言葉に自分の思いを込める

ということ

結局ここもプラチナコースにも繋がる

世界観である


声の世界は深い

日本語を決して否定するつもりはないが

どうしても日本語だけを発していては

声に深みが生まれない

それはそういう言語だから仕方ない


声を変えたかったら

英語やフランス語を音読してみることを

お勧めする

声の哲学ではテキストはフランス語だ


語学が全くダメの私が

声の哲学のスイッチが入ったのは

やはりフランス語

日本語の当たり前は全く通用しない

これが出来るようになると

当たり前だが世界は変わるだろう


声に今だからこそ改めて向き合う

声によって得られる印象は

何倍にも違うはずだ

コンプレックスを超えて

自由に自信を持って

自分の言葉を発していきたい


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