2021/08/31

世の中のママへの想い

 


私の職場はママが多い

丁度保育園から小学生のお子さんを持つ方が多く

時々休憩中に聞こえてくる会話は

お子さんのことで盛り上がっていることが多い


私はママではないので

単純に、子育てをしながら仕事をすることは

本当に大変なのだろうなと

働くママには尊敬しかないのだが

それでも何処か、自分がママになるかもしれない

可能性はあまり想像がつかない


というのも、私の中でどうしても

ママは子供が最優先で自分のことはそっちのけ

或いは仕事との両立を選んでも

子供がいない人と同等にこなさなくては評価されない

そんな思い込みがあるからなのだと思う


でもこれはあながち間違っていなくて

そのような風潮は残念ながらあるように思う


私は、ママだからと言って

女性であることを絶対に忘れたくない

そして自分の好きなことも

ママであるという理由で諦めたくはない


以前、と言ってももう10年以上も前のことだと思うが

母に何かの会話の中で

「子育て中にネイルやハイヒールは・・・やっぱりやめてほしいかな」と

さらっと言われたことがあるのを覚えている


その時は特に取り合わなかったが

今なら全面的にNO!である

なぜ、ママであるという理由で

好きなことを諦めなくてはならないのだろう

ハイヒールが危ないものではない、ということに

今なら自信を持つことができるので

そういう意味でもNOである


そして何より私が抵抗があるのは

生活感が出てしまうということである


何も周りのママを批判しているわけではなく

どうしてもそうなってしまうのは

仕方のないことなのだろうと思える


けれど、これは努力と意識次第で

変えることはできると信じている

母である以前に一女性なのである

私が好きなものが偶々ハイヒールだったわけで

それは個々に好きなものを当てはめて

それを母だからという理由で諦める必要は

ないのである


Asami先生とのコンサルティング中に

ときどきお目にかかるご息女Tiffayは

それはそれは可愛い

そして子を持つ母として画面上に映るAsami先生は

全く生活感なんて感じさせず

コンサルティング中はあくまでAsami先生そのものなのだ


けれどご子息Peterも含め、ママであることは変わらず

それなのに女性として輝かれている、その姿に

私は師であるとと共に一女性としても感銘を受ける

それは努力と意識の積み重ねであるはずだ


私ももしママになっても

生活感を出さずに一女性として生きていきたい

そう強く思う


その為の美学であったりプラチナコースであったり

或いはハイヒールのレッスンである


姿勢であったり、指先までの意識であったり

周りにブラされない意識の持ち方であったり

様々な要素が一女性として美しく生きていける

エッセンスの集合である



最後に

本日の内容が世の中のママに対して

不快なものにならないことを願います

私は本当に子を持つ母の強さそして愛情の深さに

深く尊敬しています

女性、妻、母

様々な顔を持つ私たちの人生を

一人でも多くの方が豊かなものになるよう

祈るばかりです



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